最近の動向

  • 19日(月) 

はるちゃんと生協でランチ。そばをすすりながら、今後の人生についてちょっと話を聞いてもらう。ありがとうね。
英語の授業では文献読むの忘れててほとんどdiscussionに参加できず、、後悔。
その後図書館で中国企業関連の本をどっさり借りる。京論壇の議論のための材料。無心に本を探す作業ってすごく好きだ。
そこで借りた「異文化の波」という本が面白い。経営に対してどう文化(国民文化)が影響するか、なんて恥ずかしながら今まであまり考えたことのなかったテーマだから。いくら経済がグローバル化したといっても文化差によるすれ違いだとか摩擦はなくならないわけで、それにどう向き合っていきましょうかというのが議論の中心だから、この本は議論にちょっとは役立ちそう。ただ、日中間に注目したときにどんな特殊な問題があるのかまではわからないからそこをもっと調べなきゃ。

朝からなんとなくピアノが弾きたくて、何ヶ月かぶりに触る。指が相当なまっていて、これはかなりのリハビリがいるとみた。リハビリを試みたあと、バッハを弾く。無意識にバッハを選んだのは、きっと頭を整理したかったからじゃないかな。テーマがパズルみたいに組み合わさってるあの音楽は、弾いているとなんか数学の問題を解いているような快感を覚える。(ただし、簡単な数学ね。)
ピアノを弾いている間は、昔から、人から言われた言葉や自分の言動を脈絡もなくばーーーっと思い出す時間。ピアノを弾くことに集中していれば、腹のたった言葉も情けない自分の行動も、自然と感情から切り離されて客観的に見れるようになってくる。こんな大切な時間だったんだなぁ。
その後、デリダの「死を与える」を読む授業。アブラハムのイサク奉献などなど聖書のくだりがいっぱいでてきて、はじめて中高の教育に感謝した。あと、私と他者とは共通のものによって束ねることがどこまでもできない、「共約」できないものという「共約不可能性」というデリダさんの概念を知ったのだけど、この概念にはちょっと矛盾があるなぁと思った。自分と他者とは理解できないものなんだという意識だけは、他者同士でも共有できるから。

そのあと、恵比寿の写真美術館へ森山大道の展示を見に行く。この人でも苦悩した時代があったんだ。苦悩してた時代の、キャベツの写真がすごく好きだった。苦悩のあと、たどり着いたのは「写真は光の粒子の化石だ」という答えだったそう。前にコーチが、写真は光を感じられるかどうかだとおっしゃってたこととシンクロした。
モノクロ写真はやっぱり「普遍化」が得意なんだと感じた。2007年のハワイも、2005年のブエノスアイレスも、1999年の東京も、キャプションがなければいつなのかどこなのかわからない。むしろ、ハワイの写真が東京にみえてきたり、80年代?と思ったブエノスアイレスが2005年だったりして、時間とか空間の区切りというものは自分が普段思っているほど絶対的なものではないのだ・・・と気付く。森山も言っているように、街があって人がいて、という光景はいつの時代もどこの場所でもほとんど変わらない。混沌としてつかみきれない世界の複雑性を意識するのはもちろん大事なことだけど、その複雑性に悩んでばかりいないで、時にはこうやってモノクロで世界を撮って思いっきり普遍化してみることもものすごく大事。

うわ、20日ながっ!
21日は特筆すべきこともないのでとばす。あ、はしかの注射を打ったな。あとお昼に比日部屋にお邪魔してたのしい留学生に出会ったり、男子校占いをしたのだった。わたしは卓球部で、教頭と相性がいいらしい。なんじゃそりゃ。


  • 22日(木)きょう

久々に会った友達と生協ランチ。といっても食べたのはお弁当だけど、生協にアイスのバイキングができたのを発見したので喜びいさんで食べた!あーしあわせだ〜!
チャイ語のあと、卒論説明会。
卒論はテーマ決めが半分を占めるそうなので、この1ヶ月は真剣にテーマ決めに取り組まなければな。
いろいろやることあるけど、優先順位は卒論テーマ決め。次、中国関連。
今日久々にあった人がいっぱいいたのだけど、どの人にも「やせた」といわれて自分にあまり自覚がなかっただけに心配になってきた。つくづく精神状態が体にでやすい性質なんだなと思う。メンタルを体でカバーしてるつもりなのかなぁ。よくわからないや、体と精神のしくみって。
ちょうど食堂でやってた健康相談会みたいなのに立ち寄って、栄養士のおばちゃんに色々測ってもらいながら相談した。小腹すいたらバナナかヨーグルトを食べなさいだって。母に、バナナを入れる用のケースがあるというほんとかどうかようわからん話を聞いたので笑、とりあえず明日からバナナ持ち歩いて食べ続けよう。


そういえば今日久々にあった人の一人に、とても暖かい言葉をかけていただいて元気がでた。
御自身が昔とても勇気のある決断をされたということもあって、その方の言葉にはすごく重みがあった。
わたしもそんな人になりたいな。
今自分が感じている課題の重さは、いつか人を励ますことのできる言葉の重みになることができると信じて、がんばろう。