枠組みとプレーヤー

国家公務員になることを視界に入れて就職活動をしていると、心が揺れ動くことが多くてそれなりに悩む。
それでもこのやり方をとってみてよかったなぁと思うこともたくさん。
世の中がうまく動くための下地・枠組み・インフラづくりという一見地味な仕事も、よく話を聞いてみるとものすごく魅力的だったり、
枠組みにある程度制限された範囲の中ではあるけれど、プレーヤーとしてコンテンツ作りに関わっている人はすごくキラキラしていて、こんな風に働けたら楽しいだろうなぁと思ったり。

大学選びのときも学部選びのときも、いつも「幅の広いほうへ」の法則にしたがって進んできてしまった欲張りな私は、また案の定というか、いつもの欲張りを押さえられずにパブリックとプライベートの間をまたがるような仕事に惹かれている。

パブリックなものに惹かれるのは、AUSLで学んだことの影響が一番あるように思う。
「社会への貢献」とはどういうことなのか、ボランティアをしながら考えつづけた一ヶ月間。
一つの指針として尊敬する人にもらった言葉・・
"to serve is to be let served"(仕えるということは仕えさせてもらうということ)
"pick up your own feather"(自分の羽根を抜いて、きれいな織物をつくりなさい)

そんな経験や言葉が、自然と「公僕」(public servant)である公務員に目を向けさせてくれたのだろう。
あの一ヶ月がなければ、働く上での「社会への貢献」など屁とも思っていなかったかもしれない。


先日、公務員ではない仕事で「あーやりたい!」と思うものに出会った。
自分がその仕事を通して表現したことについて、世の中の人が様々な反応を返してくれる仕事。
今まで「社会への貢献」ばかり考えていて、「社会からのレスポンス」という要素をすっかり視界の外においていたんだということに気付かされた。そればかりか、この要素が私にとってすごく魅力的なものなんじゃないかという気がしてきた。

その要素が魅力的に思える理由、それはなんと中高の部活にまで遡る。
あのころ真剣に「表現とは何か」「お客さんはどう受け止めるのか」「どうやったら伝わるのか」、鏡と向かいながら、部員やコーチと話し合いながら、5年の間考えつづけた経験が、今頃になってひょっこりと顔を出している。
もう一度、今度はライフワークとして、「表現と反応」というテーマに取り組んでみてもいいなぁと、あの頃を思い出しながらそう思う。


なんだか興奮してすごくまとまりのない文章になってしまったけど、それだけなんかわーっと考えがあふれ出してきちゃったということです。
かんにん。




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前からずっと見たいと思ってたら、たまたまBSでやってて見れた。
監督が撮りたい映像がまずあって、それにストーリーがついてきたというパターンの映画。
こういうパターンの映画、好きです。「菊次郎の夏」とかも同じパターンで好き。

自分のためにつくられたんじゃ、と勘違いしちゃうくらい自分の好きなものばかりつめこまれている映像に終始心が奪われっぱなしだった。
バレエ、写真、ピアノの音楽、公園デート、男の子の横顔、そして蒼井優。笑

浜辺のトランプのくだりはとても切なくて、不覚にも泣いてしまった。