わたしが子供だった頃

という番組がある。NHKの。
だいぶ前に録画しておいた姜尚中の回のビデオを今日みた。
なぜ彼が、人の心を動かすような問いかけを発し続けることができるのか。そのわけが少し分かった気がする。
それは、彼が自分の出自を通して、子供の頃から自己と他者との関係に悩み、問いかけを発し続けてきたから。

なぜ母親は韓国の伝統をあんなにも大切にするのか?
なぜ周囲の人は、自分や自分の家族を冷やかな目でみるのか?
なぜ初恋の人にさえ、自分をさらけだせないような出自をもってしまったのだろうか?
日本名である「鉄男」は誰なのか?本名は誰なのか?
自分は何者なのか?


まじめに悩み、まじめに他者と向かい合う。そこに何らかの突破口があるのではないでしょうか。とにかく自我の悩みを「まじめ」に掘って、掘って、掘り進んでいけば、その先にある、他者と出会える場所までたどり着けると思うのです。姜尚中「悩む力」より)


自我について悩む、というと自己中心的のような感じがしてしまうが、それは違うと思う。
決して自分のことだけを考えているのではなく、他者との関係性のなかでの自分を考えているのだから、自我について悩みぬくということは、それだけまじめに他者との関係を考えるということなのだ。
そして、そうやって他者との関係を真剣に考えた経験を持つ人は、自然と内から湧き出るような寛容さや余裕を周りに感じさせる。他者を受け入れる体勢が整っている。まさに、彼のように。


ひるがえって、私はどうだろうかということも考えた。
自分は、まだまだ悩みたりないなぁ。
本当の意味で「出会えている」人は、ほんの少しだと思う。
数の問題ではないけれど、他者に向き合うときのまじめ度が足りないなぁと感じる。




悩む力 (集英社新書 444C)

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