ことば

自分の中に言葉が足りないのか、

それとも言葉がありすぎるからなのか。

しっくりくる言葉を、なかなか見つけられない日々が続く。

言葉を使った仕事をしているわけでもないのに、なぜか言葉の選び方にひどく慎重な自分がいる。




最近、気持ちの伴わない言葉をすぐ感知するようになった。

気持ちにぴったりと張り付くような、その人の内側からしぼりだされたような言葉には、

なんともいえない、湿り気を帯びたような質感がある。

からからに乾いたうすっぺらな言葉に巻き込まれそうになると、

せめてもの抵抗を表そうと、

私は口をつぐんでしまう。

言葉をつむぎだすエネルギーが十分にあれば、

自分の言葉の湿り気を持って抵抗できるのだけれど、

なかなかそれができるときは少ない。




こんな小さな葛藤が、どんな人にも何回かはあるとすれば、

この世は「言葉」の形をとらない「ことば」であふれている。

それらは、涙だとか表情だとか、何かしらの形で外にでてこようとする。

なんだか「ことば」がきゅうに愛おしくなってくる。




海をみながらそんなことを考えた。

海にかぞえきれないほどの「ことば」がぷかぷかと浮いている絵を想像してみる。


海に向かってさけびたくなるのは、

「ことば」を波に乗せてどこかに遠くにやってしまいたいから?

それとも、「ことば」を「ことば」として受け入れてくれる懐の深さを感じるから?

なぜだろうね。





言葉にならない「ことば」のいとおしさを知っている人どうしは、


たいした言葉を交わさなくても、 


自然とそばによりそえるのかもしれない。